「丸子 稲荷神社」
「鞠子宿」には、千年以上の歴史を持つ「丸子稲荷神社」があります。
丸子城の鬼門守護としても崇敬(すうけい・あがめうやまう)されています。

丸子 稲荷神社(まりこいなりじんじゃ)
祭神「倉稲魂命」(宇迦之御魂神)(うかのみたまのみこと)
境内社「山神社・左口神社」「丸子城の守護神」例祭は、3月3日
当神社の由緒は古く、1088年前の承平7年(937)61代「朱雀天皇」の時代、京の伏見稲荷大社の分霊を奉祭したのが始まりで「五穀豊穣・衣食住の守護視」として崇められ、古くから海運・厄除け・商売筆盛の神として信仰されました。戦前は、長田村の総氏神様として尊崇(そんすう・尊敬)されていました。
丸子城の東端下にある豊坂山に鎮座しでおり、丸子城を制した「武田信玄」も「徳川家康」も、丸子城の鬼門に当る守護神として祀っています。

祭神の「倉稲魂命」(うかみたまのみこと)は「静岡浅間神社」の「大歳御祖神社」の主祭神である大歳御祖命(おおとしみおやのみこと・別名、神大市姫命)の娘(子供)で、兄が、お年玉の語源になった「大年命」(おおとしのみこと)で、父親は「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)です。
[倉稲魂命」は「稲の神様」(お米)で「倉稲」(うか)とは、登呂遺跡にある「高床倉庫」の中に「稲」が入っていて安全に保管されている状態のことで、弥生時代は、不測の事態があった場合、すぐに「お米」を村人に配りました。よって、安心した生活ができまた。しかし、今は「備蓄米」を政府がすぐに開放しないので、5Kg4,000円(2025年3月)以上の高値になって国民は困っています。

きて穀物の中で一番、崇拝(すうはい)されている神は「米」である「稲」です。
その「稲」を神として祀る「稲荷神社」は、なぜ「稲荷」と書くのでしょうか?
遠い昔「いなり」の文字は、当初「稲」は生きているので「稲生り」(いなり)と書きました。
続いて「稲」は、成長するので「稲成り」(いなり)と書き、現在では「稲荷」(いなり)と書きます。
「稲荷」の「荷」(なり・に・か)は「になう」と読み、意味は「かつぐ」「荷物を数えたり」「任せたり」「になったり」することです。「稲」を数えて運んで「脱殻」すると「米」になります。宅急便でも「稲」を「荷」(に)なうように運ぶ事を「稲荷」と云うのでしょうかね?
尚、当神社は江戸時代、伊勢亀山の城主であった「石川家」歴代の守護神でありました。
参勤交代おる折には、歴代の「藩主」は「鞠子」(丸子)に宿泊されて、宿内全戸に「赤飯」を配われたそうです。また、社殿修築する際も、多額の造営費を寄進されたと言われでいます。
「丸子稲荷」の境内には、以前『靉靆無辺靉靆昌』(あいたい むへん こくうん さかん)と書
かれた碑文がありました。
意味は「果でしなく曇はたなびき、国は益々栄えて行く」です。
おさだ歴史友の会 大木勝敏様 資料より